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【読書メモ】電通とリクルート(山本直人)

本書ではTV広告などに代表される「プッシュ型」の広告を「発散志向広告」、今日の検索連動型広告などに代表される「プル型」の広告を「収束志向広告」と分類している。

そして、「発散志向広告」を成長の原動力とした電通に対して、「収束志向広告」の源流はリクルートにあるという時代認識のもと、両社の軌跡を追うことで、この二つのタイプ広告が、日本において、どのような成長と変化を遂げてきたのかを論じた一冊である。

リクルートが作り上げた「就職情報」や「住宅情報」によって、「広告」は「情報」として受け止められるようになり、検索連動型広告の起点もここにあるとしている。こうした情報誌を購入する人々が期待するのは、求める情報が探しやすく整理されていることであり、これは、まさに今日、検索エンジンに求められているものと同じである。

一方で、電通をはじめとする広告代理店が担ってきたのは、マス広告によって「憧れの景色」を見せることで、「いつかは買いたい」と思わせる理由を提供することである。そうした広告を成立させていたのは「許された嘘」であると筆者は言う。

たとえば、住宅情報では、駅から徒歩10分の物件を徒歩5分と書くことは許されないが、広告において、坂の上にある立地の家を「羨望の丘」と書くことは許される、といった具合である。

だが、1980〜90年代にかけて、バブルの崩壊や、その後の金融危機による景気の悪化をきっかけとして、人々は段々と「自分の買う物は自分で決める」ようになってくる。こうした消費者心理の変化の中で求められたのが情報誌であり、これがリクルートという会社の成長を後押しする要因となった。

こうした流れの中で、テレビの広告も「憧れの景色」を見せるものから、「購買ガイダンス」的な現実を見せるようになっていく。 本書の中でこの両者の例として紹介されているのが、この2つのテレビCMである。 

 【ホンダ:プレリュード】  

 【トヨタ:カローラII】

更に、今日ではテレビCMの最後に「○○で検索」といった表示がされることも普通になっているが、これによって「マス広告も情報の一部であることを告白した」と筆者は言う。

こうした流れは、確かに人々の要求や嗜好の変化に促されたものではあるが、一方で、情報化していく広告は「憧れの景色」とはほど遠い、身も蓋もないものになっているという思いを抱く人も多いだろう。

だが、本書の最後にある一節は興味深い。

グーテンベルグが印刷術を発明して最初に印刷したのは「聖書」と「地図」である。聖書は読むもので、地図は使うもの。リクルートは「使うもの」を作り続けて成功した。では、誰が聖書を作るのか?

そう、人々が「旅をしてみよう」と思わなくなれば、誰も「地図」を必要としなくなるのである。そこにこそ、「情報ではない広告」が果たせる役割が、まだまだ残されているということなのだろう。



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