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「ゼロディフェクト」の誤謬

この震災を機に、日本人に問われていることの一つは「リスクとの向き合い方」ではないかと思っている。



日本の安全管理・品質管理に関する技術レベルは世界的にみても高いと言われている。たぶん、そうなのだろう。だが、一方で、日本人は「リスクを管理すること」は苦手なんだと思う。

かつて、トヨタの品質管理の姿勢を表す代名詞ともいわれた「ゼロディフェクト」という言葉をご存じだろうか?これは文字通り、「ディフェクト」つまり「不良品」や「欠陥品」をゼロにするということだ。

もちろん、品質管理を行うにあたって「ゼロディフェクト」を目指すという姿勢自体は悪くない。だが「ゼロディフェクト」が本当に目標になってしまう、つまり「不良や欠陥があることは許されない」ということになってしまうと、その先に待っているのは、ヒステリックな思考停止だけである。

およそ人間が行う営みにおいて「絶対に問題が起こらないシステム」などあり得ない。実際、当のトヨタでさえ、これまでに度々リコールを行っている。だからこそ、不良や欠陥があることを前提に備えをしておくべきなのだが、「ゼロディフェクト」が目標になってしまうと、不良や欠陥があることを前提に物事を考えることが許されなくなる。

たとえば、今回の原発の件に関して、大気や水に含まれる放射線値が基準を超えたという事実が明らかになる度に、「基準は超えているが、ただちに健康に害を及ぼすレベルではない。」という声明が繰り返される。

なぜだろうか?

「原発は絶対に安全である」という前提でスタートしてしまった以上、放射戦値が基準を超えようが何だろうが、引き続き「原発は絶対に安全でなければならない」というロジックの中では、もはや、基準など無かったかのような議論が平気で行われてしまうのである。

だが、これを東電や原子力保安院、あるいは枝野官房長官の問題なのだ、という総括には同意しかねる。むしろ「絶対安全」と言わない限り、「そんなキケンがあるものを建てるのか?」と批判する我々日本人の姿勢が「不良や欠陥のあることを前提にものを考えること」を難しくしていると考えるべきではないだろうか?

その良い例が、かつてバブル崩壊で大量の不良債権を作り上げた銀行だ。高学歴者を大量に採用しているはずの銀行が、なぜ、経営の屋台骨を揺るがすほどの不良債権の発生を未然に回避できなかったのか。実は、その理由も「ゼロディフェクトによる思考停止」なのだ。

今から10年以上前の話になるが、私は銀行員として、アジアの企業やプロジェクト向けの融資を担当していたことがある。こうした融資は、調達金額が通常、数百億円規模と多額であるため、複数の銀行が集まってお金を貸す協調融資(シンジケートローン)という形が取られる。

その際に設定される金利は、対象となる企業やプロジェクトの「リスク」に応じて変動する。国家が保証しているような案件であれば、相対的にリスクは低いので、金利(=銀行の儲け)も低くなるし、プロジェクトが頓挫した場合には、直ちに返済にも影響がでるような案件はリスクも高いので、金利も高くなる。

欧米の銀行の場合、個々の案件のリスクを、たとえばA〜Eといった格付けをした上で、個々の銀行の規模や体力や、あるいは期待する収益に応じて、格付けランクごとに、どこまで貸せるかの上限を決めている。いわゆる「ポートフォリオ管理」というやつだ。だから、協調融資に応じるかどうかのを判断する際には、各案件の格付けが決まれば、たとえリスクが高くとも、貸出枠があれば、即OKと決まる。反対に、リスクの低い案件でも、そうした案件ばかりでは収益率が悪くなるので、貸出に応じないこともある。

これに対し、当時、多くの日本の銀行は「ゼロディフェクト主義」、つまり「我々が貸出を認める案件はすべてが優良案件でなければならない」という思想のもとに審査が行われていた。もちろん、これが正しく運用されていれば、邦銀は、相対的にリスクの低い案件には参加しない、ということになる訳だが、実際にはそうではなかった。

本来はリスクが高い案件でも「優秀な人たち」が寄ってたかって、膨大な資料を作り「この案件のリスクは高くない」ことを証明してしまうのだ。だから邦銀の審査には時間がかかる。それでも、当時、邦銀は海外の金融市場でも、貴重な資金の出し手と捉えられていたため、欧米の銀行は、邦銀が結論を出すのを待ってくれた。

こうして審査を通った案件はすべて「優良な」案件だから、当然のことながら、ポートフォリオ管理などは機能しない。だから「リスクは高くない」ことを正当化できるプレゼン力のある人が多い銀行あるいは支店ほど、本当ならリスクが高い案件を大量に抱え込むことになる、という訳だ。

今回の原発に関するやり取りを見ていると、「キケンがあることを前提にした議論が許されない」がゆえに、「不良債権」を抱え込み、バブルの崩壊に向かっていった、あの頃のことが思い出されてならない。

同時に、これは、多くの日本人が共通に抱える「欠陥」である、と受け止めてこそ、次への進歩につながるのではないだろうか?



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