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震災後の尋常じゃない日常

3/11(金)に発生した大震災から一週間が経った。

阪神大震災の時もそうだったらしいが、被害の程度がひどいところほど情報が入らず、この結果、外からは、時間の経過と共に、被害の程度や大きさが「拡大」しているように見える。

「らしい」と書いたのは、私自身、阪神大震災の時には、神戸市東灘区にいたため、震災から一週間は、震災がどのように報道されていたかをほとんど知らないからだ。

ちなみに、私は当時、勤めていた会社の独身寮が、後に「半壊」と認定される被害を受け、震災から数ヶ月、居所を転々とするという経験をしたが、家族や親戚を失ったり、あるいは倒壊やその後の火事で家や財産を失った方々に比べれば、遙かに程度の軽い「被災者」である。

ただ、当時はいまのようにワンセグやTwitterなども無く、被災地の中心にいた私は、ほとんどメディアの報道からも隔離されていた。あの阪神高速が横倒しになった映像を見たのも、震災から一週間後だった。

この一週間、Twitterなどでは、直接被害を受けていないと思われる人たちの間で、自粛だの不謹慎だのといったやり取りが行われているのも目にするが、被災地の「中の人」からしてみれば、おそらく、そんなことはどうでも良い、というか知る由もないのではないか、と思う。

さて、阪神大震災の時に話を戻そう。地震から2時間ほどして周囲が明るくなると、半壊した独身寮の回りにある木造住宅が、ことごとく倒壊しているのが分かった。それまで、まったく関心もなかったのだが、そうした家には、独居老人がたくさん住んでいたことを知った。震災から数時間して、かけつけた家族・親族たちが、瓦礫の前でなすすべもなく、独身寮から出て来た我々「若者」たちに、じいちゃん、あるいは、ばあちゃんが埋まっているから、助けてくれ、と声をかけてきたからである。

着の身着のままで、私も、さっそく「救助」に向かったが、スコップやノコギリはおろか、軍手も無い状態で、できることは限られていた。ジャージにスニーカーを履いただけの足には、倒壊した家からむきだしになった釘やガラスが容赦なく刺さってきた。いま、テレビでは、「ボランティアに行くなら、充分な装備を」と言われているが、本当にその通りだと思う。

ちなみに、2階建ての木造住宅の場合、たいてい崩れるのは1階部分だ。しかも、斜めに倒れるので、残った2階部分から家に入っても、「階下」の部屋は斜め下にある。そこに、声をかけながら、ほとんど素手で掘り進んでいく。その結果、何人かを見つけることができ、畳や戸板に乗せて近所の病院に運んだが、残念ながら、既に事切れている人も居た。運んだ病院も、映画でみた野戦病院さながらの風景だった。病院の前の道路には、毛布にくるまれた遺体もたくさん並んでいた。

震災初日が暮れると、我々は近所の小学校の体育館に避難することになった。だが、当時の勤め先は銀行で、当局からは、地域金融の安定化のために、一日も早く営業を再開せよ、というオーダーを受けていたため、私も、その夜のうちに、銀行に「招集」された。東灘区の避難所から、神戸の中心(旧居留地)にある職場には、車で向かったが、当然、外は真っ暗で、道をふさいでいる倒壊した建物の瓦礫をよけながら、ゆっくり走るしかなかった。

途中、何カ所か、川や線路を渡る橋もあったが、本当に車で渡っても崩落の危険が無いのか知る由もない。とりあえず、車から降りて「途中で橋が切れていない」ことだけを確認して、おそるおそる渡った。

思い起こせば、震災後の暗闇の中で、まっさきに探したのは眼鏡とサイフだった。だが、その後、しばらくの間、サイフを使うことは無かった。なぜならば、周囲にあいている店などなく、あいていたとしても、買う物は何もなかったからだ。だから、翌朝、被災地のど真ん中で、必死の思いで開けた銀行にも、ほとんど来る人はいなかったわけだが。。。

そして、独身寮に住んでいた我々は、それから一週間、銀行のフロアに寝泊まりし、非常食の乾パンと氷砂糖、水で食いつなぐことになる。でも、震災直後の興奮もあってか、この時よりも、むしろ、ある程度、状況が落ち着いてきてからの方が、感じるストレスは大きかったような気がする。

相変わらず、交通網は寸断され続けていたし、神戸の町の中には、瓦礫が散乱している。崩落した飲食店街のビルからは異臭や埃が漂い、マスクなしでは歩けない。だが、そうした中、避難所や移転先、あるいは半壊した自宅から、毎日、職場に向かい、普通に仕事をしていかねばならないという現実。片道2時間以上かけて会社に通うことからくる疲れや、震災が徐々に「過去のこと」となりつつある神戸以外の人たちと話す度に、その温度差に、ちょっとずつ、心がヒリっとしたり。。。

そんな「尋常ではない日常」が続く中、気持ちが暖まるのを感じた瞬間があった。それは、毎晩、通勤のために歩いていた真っ暗な道に、たぶん焼肉屋さんだったと思うが、店先に木箱と板でテーブルを作って仮営業を始めた時だ。おそらく店の中は、めちゃくちゃになっていた筈だが、それでも、外で営業を始めた。

もう二度と復旧なんてしないんじゃないか、と思わせるような風景の中で、よく理由は分からないが、震災の中、黙々と家と職場を往復する人々の多くが、店先で暖をとるために焚かれた一斗缶のたき火に、ほのかな「希望」を感じたんじゃないだろうか。

もちろん、この店は、神戸の人びとを元気づけようという思いで、商売を再開した訳じゃないだろう。飲食業は、日銭商売だから、再開が一日遅れれば、その分だけ苦しくなる。それでも、みんなは、店の明かりに希望を感じたのだ。

今回の地震で被害を受けた地域は広大だ。津波も加わり、おそらく神戸を上回る被害になっているのは間違いない。だが、それでも、遠くない未来に、被災した人たちにも、間違いなく、尋常じゃない日常がやってくる。

避難所にいる人たちに食糧や水、重機を送って支援することは、外の人にもできる。だが、壊れた家や店、工場、会社やビジネスを建て直すのは、被災した人たちが自らの手でやるしかない。だが、そうやって、社会や経済の色々なところが、ちょっとずつ修復され始め、それが点から線、面のように広がることで、本当の再生・復興が進むのだと思う。

これから始まる、気の遠くなるような再生・復興のプロセスが、できるだけスムーズに進むよう祈るしかない。そして、その中で、自分にできることは何なのかを考えていこう。

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