英語公用語化をしたがる企業ほど実は「日本的」と思える理由

ユニクロや楽天などが英語を社内の公用語にしたことは、メディアでも大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いだろう。また、公用語化まではいかなくとも、TOEICで一定の点数を取ることを入社や昇進の条件にしている会社も増えていると聞く。


こうした話は、「グローバル」な視野をもつ企業の「先進的」な取組事例といったトーンで取り上げられることが多いが、果たして本当にそうなんだろうか?

私は、むしろ、伝統的な日本企業のDNAが強く残っている会社ほど「英語公用語化」が必要になっているように思えてならない。

その理由は大きくわけて3つある。

(1) ゼネラリスト志向

海外拠点で採用した現地のマネジメントやスタッフとコミュニケーションをすることが必要なら、海外拠点を統括する立場にある部門に英語のできる人材を配置すれば済む話だ。

だが、終身雇用を前提とした日本型の組織においては、幹部候補になればなるほど、「多様な経験を積む」という名目のもと、様々な部門を渡り歩かせることになる。だが、もし、その人材が英語ができないと、海外拠点を統括するポジションには配置できず、そうなると、せっかくの幹部候補の人材を「ゼネラリスト」に育てることができなくなってしまう。

それゆえ、ローテーション人事によって、誰が海外統括部門の配置されることになっても困らないようにするためには、社員全員、あるいは少なくとも管理職クラスには、全員、英語ができるようになってもらわないと困るのである。

(2) 純血志向

もし、社内に適切な人材がいなければ、例えば、海外部門でマネジメント経験がある人を外から連れてくるという方法だってある。国籍にこだわらなければ、多国籍企業でマネジメント経験を積んだ人など、世界中には掃いて捨てるほどいるはずだ。

だが、日本においては、社外の人材、まして外国人を責任のあるポジションに付けることには抵抗を感じる企業も多い。そういう企業は、何としても、自社の生え抜きの人材で賄おうとするので、そうなると、社員には必死で英語を学んでもらわなければ困るという訳だ。

(3) 自前志向

テレビでドキュメンタリー番組などを見ていると、「日本企業の海外進出ストーリー」というのは、海外で暮らした経験もなく、英語も覚束ない日本人社員が、社命でいきなり海外に放り出され、たどたどしい英語で交渉をしながら、何とか海外に橋頭堡を築く物語、とたいてい相場が決まっている。

日本に進出している、いわゆる外資系と呼ばれる企業は、社長以下、ほとんどが英語のできる日本人を採用してビジネスをしているのに、海外に進出する日本企業には、現地のトップからスタッフレベルまで、多くの日本人が送り込まれる。

実は、これは(1)もしくは(2)の問題とも深く関連している。

一つには、本社で海外拠点を統括する部門に、英語できちんとコミュニケーションができる人材がいない場合、海外拠点には、日本語ができるスタッフが必須となるので、多くの日本人社員を送り込まねばならない。

あるいは、「自社の製品やサービスは、自分達じゃなければ売れない」という思い込み(もしくはおめでたい勘違い?)がある場合も、「現地スタッフなんかには出来っこない」ということになり、かくして、海外進出が加速すると、それに比例して、大量の日本人社員が海外に送られることになる訳だ。

この結果、日本的な組織体質を温存している企業ほど、否応なくすすむ経済のグローバル化の中で、「英語の公用語化ニーズ」が高くなるという、何とも皮肉なことが起きているように思えてならない。

一方で、英語教育ビジネスにとっては、大きな需要になる可能性もあり、企業が利益を内部留保に回さず、社員の英語教育に投資するならば、それもまた、景気刺激策としては有効と考えるべきなのだろうか。。。

頑張っているのに報われないのはなぜ?

サッカーやアイスホッケーなどの集団球技を経験した方なら分かると思うが、トップスピードで走っているフォワードの半歩くらい先に出された早いパスが通ると得点のチャンスは増す。
 
スルーパス

だが、このパスが成功するかどうかは、トップスピードで走っているフォワードが、さらに半歩、足を前に出して、このパスを受けることができるかどうかにかかっている。もちろん、このフォワードは既にトップスピードで走っている訳だから、体力的にはかなりキツイ。

「パスが遠い」「もう充分走った」と自分の判断を正当化して、終わらせることもできる。どちらを選択するかは、本人次第。もちろん、半歩足を前に出す選択をした方が、得点のチャンスは大きくなる。

これは仕事でも同じことだ。

だが、これまで一緒に仕事をしてきた多くの人たちを見ていると、面白いことに、諦めるという選択をした人も、自分では「充分に頑張った」と考えている人が多い。おそらく、パスが来た時点で、すでに充分に「キツイ」状態にある=「自分は充分に頑張った」と思わせるのだろう。

一方、監督やコーチ、あるいは上司・同僚といった客観的な立場から見ていれば、頑張って半歩を出した人とそうでない人の差は、ハッキリと分かるものだ。

だから、諦めるという選択をした人に限って、自分と他人の評価のズレがあると感じ、不平をもらすことが多い。「オレだって充分頑張っているのに、なぜアイツの方が評価されるんだ?」と。


やったことが無いことは出来ないのだ

以前、採用や人材育成専門のコンサルティング会社に頼んで、採用したい人材を適確に見分けるための面接手法について、特訓をしてもらったことがある。その時、徹底して言われたのは「人はやったことが無いことは出来ない」ということだ。


だから、「この会社に入ったら何をしたいか?」とか「どんな貢献ができると思うか?」といった「未来」に関する質問は、少なくとも、面接に来た候補者の適否を見極める上では、全く意味の無い質問であると言われた。

なぜなら、ちょっと気の利く候補者なら、「未来」のことについては、立て板に水のごとく、予め暗記してきた「原稿」をスラスラと話すことができるからである。

では、面接を受ける側は、こういう企業側の戦略に対して、どう臨むべきなのか。答えは一つ、「やったことがあること」を自ら努力して広げて、経験値を上げていくしかない。

特に気をつけたいのは、ルーティーン化された仕事をこなして、つい仕事をした気になってしまうことだ。ルーティーン化された仕事というのは、自分に任された領域であり、手順も熟知しているので、余り考えなくとも非常に効率的に仕事ができ、成果も出しやすく、そして、評価もされやすい。要するに非常に費用対効果が高いのだ。

一方、そこに安住してしまうと「やったことがあること」は広がらないのだが、残念なことに、多くの人は、本能的に変化を嫌う

会社や上司から、新しい仕事、新しいツール、新しいやり方にトライしてみることを命令あるいは薦められた時に、あなたはどう反応しているだろうか?

もし「それがうまくいかないと思われる理由」が、次から次に口をついて出てくるようなら、あなたも「ルーティーンに満足して、自分の可能性に自ら限界を定めている」という危険信号、と思った方が良い。


ファミレスの呼び出しボタンが日本をダメにする

最近、どこのファミレスに行っても、たいていテーブルに、こういう「呼び出しボタン」が置いてある。


「すみませーん」と大声を出してウェイター・ウェイトレスを呼ぶ必要がないので、客にとって便利なものではあるが、これは、顧客サービスでも何でもない。

ウェイターやウェイトレスたちが、ボーッとしていて、食事をしている客の状況に全く目を配っていなくとも、最低限のサービスが提供できるという点で、これは、店にとって大変に都合が良い道具なのだ。

だが、本来、「客の面倒を見ること」が仕事であるはずのウェイターやウェイトレスたちが、なぜボーッとしているのか?それは、彼らが、どんなに客を満足させたところで、自分達の給料は変わらないことを知っているからだ。

海外、特にアメリカに出かけた日本人旅行者には、すこぶる評判の悪い「チップ」だが、私は、店と客のWin-Winを実現するために、これほど効果的なシステムは無いと思っている。

ウェイターやウェイトレスは、できるだけ多くのチップを貰いたい一心で、常に客の様子に目を配り、「料理はどうか?」「飲み物は要らないか?」「お薦めのデザートはどうか?」としょっちゅう声をかけてくる。

かたや日本では、特に「ボタン」の置いていないレストランに入ると(結構なお値段を取るレストランであっても)、ウェイターやウェイトレスに気づいてもらうのに苦労することは珍しくない。彼らは店の一角に立ってはいるのだが、一体どこを見ているのか、なかなかこちらに気づかない。

「結果の平等」ばかりを求めるがゆえに、個人がどんどん努力や競争をしなくなる「自発的社会主義国家」ニッポン。外で食事をする度に、私は、日本人の「劣化」を感じて、暗澹たる気分に包まれる。。。


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