競争なき「社会」と「会社」の行く末

かつて「キャリアアップ」という美しき誤解のもとに、数年おきに転職を繰り返していた頃、必ず目を通していたのは、日経新聞の日曜版だ。

日曜になると、外資系の金融機関やコンサルティングファーム、あるいはそうした企業への転職を斡旋する、いわゆる「ヘッドハンティング会社」が採用や、転職希望者の登録を募集する広告が大量に掲載されていたからだ。

その後、転職とは無縁の生活となり、「日曜版」の存在すら忘れていたのだが、この前の日曜日に偶然見て驚いたのは、求人広告の激減ぶりだ。

日経日曜版

確かに、日本の国際的な地位が相対的に低下する中、アジアの拠点を中国やシンガポールに移す外資系企業は増えている。また、リーマンショック以降は、外資系金融機関の採用も大きく減少しているという話も聞く。

だから求人広告も減っている、ということになるのだろうが、一方で、「日本の会社」は何をやっているのだろう。

先月発表された国税庁の調査によれば、日本には261万社もの法人がある。にもかかわらず、おそらく数としては圧倒的に少ない在日外資系企業の採用意欲が低下すると、それに連動して、転職市場も縮小するというのが、日本の姿なのである。

結局、いまだに日本企業の多くは純血主義・自前主義を捨てきれず、外部の有能な人材を登用してまで企業価値を高めることには関心が薄い、ということに他なるまい。

今日の日経ビジネスオンラインには、こんな記事が掲載されていた。


日本のサラリーマンは「会社が潰れそうになるギリギリまでは、どんなにデキの悪い社員でもクビにしてはならない」という極めて社会主義的な法律に守られている。しかも、自分の身を脅かすかもしれない外部の人材の登用は頑なに拒み、サラリーマン「ムラ」の中で安穏としていても毎月決まった日には給料が振り込まれてくる。

それでも足りずに「自分からアピールしなくても、上司の方からきちんと目配りして評価をして欲しい」とは、いつから日本の会社は「巨大な幼稚園」になったのか。

評価をして欲しいなら、それに見合ったパフォーマンスを出す。それでも正当に評価されていないと思うのであれば、正々堂々と議論する。それでも自分に対する評価が変わらないなら、「それなりに」仕事をして会社に残るか、それがイヤなら、自分を正しく評価してくれる仕事や職場を自分で探しに行く。

そんな単純な理屈が通じない「社会」や「会社」が、この先も長きにわたり繁栄を維持できると、みな本気で信じているとすれば、おめでたいと言うしかない。

MBAとは教習所なり

最近は日本の大学でもMBAプログラムを提供するところが増えてきたので、ご存じかと思うが、MBAとは、Master of Business Administrationの頭文字を取ったもので、日本語に訳すと「経営大学院」といったところか。

確かに制度上は「大学院の修士課程」であり、卒業すれば、一応、修士号という学位がもらえることになる訳だが、私が知る限り、MBAを取得するのに修士論文の提出を求められることは無い。つまり、MBAは2年間の「学究成果」に対して与えられる学位、というものではない

学校によってバラツキはあるだろうが、MBAのカリキュラムは、まず1年目で経済学・統計学・会計学・マーケティング・組織行動論といった科目を超特急で履修する。最近では、デザインや商品開発などを科目に加えるプログラムもあるようだが、いずれにせよ、こうした科目は、経済学者やデザイナーを養成するためにある訳じゃない。

内容的には、それぞれ学部レベルで履修する程度のものだ。だが、ともかく、MBAに入った限りは、出身が文学部だろうが理工学部だろうが、大学で経済学や統計学あるいはマーケティングを専攻した連中と同等レベルの知識を1年で習得することが求められる。

MBAを卒業した後は、企業の経営者もしくは幹部として、例えば、会計学を専攻して経理部門に配属になった部下が作成した財務諸表や、統計学を専攻した部下が出してくる市場調査のデータを見て、それを理解した上で的を得た質問をし、そして正しい経営判断を行うことができるようにするためだ。

そして2年目は、1年目で習得した知識やMBA入学までの職務経験などを総動員しながら、企業のケーススタディを通じて、経営者としての模擬訓練を行う。教材は、実際の企業に取材して作られた様々な「実話」だ。

医療品メーカーの売上減少や、重機メーカーの多国籍展開に伴う組織や人事の問題、なかにはイタリアの現地法人が役人から公然と賄賂を求められたが、国際部門の責任者であるあなたならどうする?といったものまで、内容は多岐に渡る。その他、私が卒業したジョージタウン大学では、「ビジネスコミュニケーション」というクラスもあり、そこではもっぱら、プレゼンの作法やビジネス文書の書き方などを叩き込まれる。

だからMBAは、学問をするところではなく、卒業後、企業の経営について、最低限の舵取りができるような経営幹部候補を養成する「教習所」なのだ。

ちなみに、ケーススタディに正解などはない。成績は試験や、クラスでのディスカッションにどれくらい貢献したかといった要素で決まるが、奨学金をもらっているヤツでもない限り、成績もそれほど重要ではない。これも、自動車教習所と同じだ。卒業できなきゃ困るが、教習所での成績なんて免許を取ってしまえば、全く関係ない。

誤解の無いように言っておくが、教習所であることが問題だとか、MBAに意味がないなどと言っている訳ではない。むしろ、反対に、日本のビジネスパーソンも、こうした「教習所」にもっと簡単に通えるような環境が必要ではないかと思っている。

アメリカには、ハーバードやスタンフォードだけじゃなく、MBAプログラムを提供している大学は、地方のコミュニティカレッジのようなところも含めて、山のようにある。2年間、会社を辞めて通うものだけでなく、夕方や週末に通えるパートタイムMBAといったプログラムも充実しているので、数年かけて仕事をしながらMBAを取得する人も多い。

このため、米国の企業では、別にバリバリのエリートでもなく、ちょっとした会社のマネジャークラスの人間でも、コトラーくらいは読んで知っているし、資金調達におけるモジリアニミラーの命題、統計学における最小自乗法や、事業評価におけるNPVやIRRなどの意味についても、知識としてひと通り押さえている。また、説得力のあるプレゼンをするためのスライドの作り方や立ち振る舞いなども心得ている。

ここから先は私見になるが、日本企業のホワイトカラーの生産性が低いと言われる原因の一つには、ホワイトカラーとしての基礎的な素養を習得する機会が乏しいことにあるような気がしてならない。多くの人は、大学を卒業して会社に入ると、その後、体系的な教育を受ける機会が余りないため、知識の習得は、自分が担当している領域におけるOJTが中心とならざるを得ない。

もちろん、書店にいけば、「ビジネスマンのための」などと冠した書籍は山のように売られているので、そうした書物で独習することもできな訳じゃない。だが、MBAのプログラムに乗っかることで、習得できる領域の幅は広がるだろうし、ケーススタディなどを経験することで、知識の定着度も増すだろう。

いずれにせよ、MBAに行こうとすると、仕事や私財を投げ打って、しかも、まずは英語と挌闘した上でアメリカに向かうしかない、という状況はどうにかならないかと思う。

就職留年は増えて、転職は増えない理由

総務省の労働力調査によると、就業者のうち、過去1年以内に転職を経験した人の割合は5.1%だそうだ。 仮に、全てのサラリーマンが転職するとしたら、20年に1度、つまり生涯のキャリアを通して、1回から2回転職する、というのが「平均像」ということになる。



しかし、実際には、私のように、10年間、日本の銀行に勤めた後、起業するまでに、4つの外資系企業を渡り歩くような人間もいるということを考えると、日本は、まだまだ特別な事情がない限り、転職はしないのが普通な社会、と言ってよいだろう。

実際、総務省の調査資料を見ると、45歳を超えて転職した人のうち、半数以上、55歳以上では、実に75%の人が、転職によって給与が減ったと回答している。つまり、日本における転職の多くは、リストラなどによる「非自発的転職」であり、地位や給与をあげていくことを目的とした「キャリアアップ型」の転職が主流とはいえない。

なぜか。一番大きな理由は、多くの日本企業が、いまだに、終身雇用と年功序列を前提とした給与体系を採用しているためだ。

多くの日本の企業では、年功序列を前提に、基本的には、同じような年齢の社員が同じような地位・役職に就く。このため、同じような地位や役職にある社員に、同じような給与が支払われるようにするためには、社員が毎年新卒で入社して、横一線でスタートを切ってくれないと都合が悪い。

就職が決まらなかった学生が、卒業できる単位を取っているのに、わざわざ余計な学費を払って「就職留年」を選択し、「新卒」を装わねばならない理由もここにある。

最近になって、一部の大企業は「卒業後3年までは新卒扱」とすることを発表し始めているようだが、これも「3年程度の年齢差であれば、給与や地位の逆転が起きても組織としては受入可能」という、あくまでも従来のシステムに基づく価値観に則った判断であり、本質は何も変わっていない。

まして、転職者を中途採用するなど「年齢と給与のバランス」というこれまでの秩序を考えたら、とんでもない話だ。次は部長、役員、そして社長と、臥薪嘗胆で上司や会社の理不尽な要求にも堪え忍んできたのに、どこの馬の骨ともわからないヤツが中途で入ってきて、突然、自分の上司になるなどということは許せない。

だから、新卒採用という制度維持し、中途採用を排除するということは、社長からヒラ社員まで、全てのサラリーマンの利益にかなう、という訳だ。

就職活動中の学生諸君も、「実力主義」だの「適材適所」といったメッセージを声高に叫んでいる企業については、制度面でも、本当に実力ある人間を受け入れようとしているか、という観点で検証してみるとよいだろう。

実際、私も、一時期、日本企業への転職を試みたことがある。だが、話が具体的に進むにつれて、必ず問題になるのは、「給与」ではなく「職位」の方だった。私が希望する給与を払うことは可能だが、それをしようとすると「年齢 x 職位」のマトリックスからはみ出してしまう。

なので、契約社員や嘱託といった形での雇用や、あるいは「XXX室付」といった曖昧なポジションが呈示されることになる。つまり、

我々の「上司」になるための苦行や儀式を経ていないキミには、「お客さん」で居てもらわないと困る

というメッセージだ。

このため、日本でキャリアアップのために転職しようとすると、どうしても外資系企業が中心になってしまう訳だが、今度は「英語」というハードルもあり、日本に進出する外資系企業は、常に「人材難」に悩まされることになる。この話は、また別の機会に。

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